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平成も終わりなので、私が鮮明に記憶している平成の黒歴史を書いてみる

平成もとうとう終わりですね・・・長い様で短かった時代でした~

でした。

 

私が最初に平成と出会ったのは、忘れもしない高校2年生の3学期の始業式のあった日でした。

 

そもそも基本的に昭和63年に入った時から、昭和63年はいつ終わっても不思議ではない状態でした。

 

昭和天皇はもう、63年当時は夏頃からはほぼ危篤に近い病状だったので、昭和63年が終わって〇〇になってしまうのはいつなのか?と思っていたら何と!大晦日を迎えることが出来ました。

 

そうして昭和63年が終わり64年になったのですが、それはある日、お正月の目出度い日々が終わったある日にやって来たのです。

 

 

「天ちゃん死んじゃったヨ!!」教室の中でその言葉は響いた

当時高校生だった自分、皆は親しみを込めて天皇陛下の事をそう呼んでいました。

 

「天ちゃん」

 

長い長い長い闘病生活の末、安らかなる旅立ち・・・・をされました。

 

と、同時に、昭和が終わりました。

 

多分宮内庁では、この日がいつ来てもイイ様に準備をしていたのでしょう。

天皇陛下崩御の次の日にはもう「平成」と言う新元号の発表がなされたので、いつ来てもおかしくなかった「この日」に備えて、着々と準備していたのでしょう。

 

1月7日。

学校の廊下で、そう叫んだのは誰だったか・・・・

 

当時はネットももちろん無いし、携帯電話も無いので、とりあえず各クラスに置いてあるテレビをつけたと思います。

 

全部のチャンネルが天皇陛下崩御のニュースで染まっていました。

と同時に、昭和が終わった事も告げていました。

 

その後は怒涛の様に葬儀やら何やら~、即位の儀とかナントカ~・・・・

全てが慌しく過ぎて行きました。

 

 

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「平成」の始まり

故小渕さんが、平成と書かれた額を上げる瞬間や上げた時の動画や画像は今でもクソコラ画像などで使われるほどに有名になりましたが、それを最初に見たのは平成元年1月8日の事です。

 

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昨日までは昭和64年、今日から平成元年。

何か面倒臭いけど、仕方が無いなーと思ったり。

 

クラスの男子に、お正月に弟が生まれた!と言っていたヤツが居たのですが、弟君は奇跡の昭和64生まれ!になったのでしょう。

凄い事です。(特に履歴書とか書く時に絶対話題になる)

 

そんなこんなで始まった平成~の、黒歴史はたくさんありましたね。

 

とりあえず、私が記憶しているだけの黒い歴史を振り返ってみようと思います。

あくまでも、私の中で鮮明な記憶だけしか書いてませんが・・・・

(前置き長い)

 

 

平成元年、修学旅行で滑って転んで肩を脱臼全治一か月

これは、私自身の黒歴史ですが、1月下旬に山形県蔵王でスキー合宿形式の修学旅行がありまして。

 

修学旅行委員の副委員長であったにも関わらず大怪我こくと言う~オチ!をかました私は、以降3年で卒業するまで何故か学校では有名人に・・・・

 

スキー中にですね、転んだんですけどね、右側が斜面で落ちたら死ぬな?って傾斜だったので右手を付いたら~~、転ぶ衝撃に耐えられなかった方が脱臼したんですね~~。

結構痛かったですねー。

 

でも、驚いたのはハマる時は結構スルン!と言う感じでした。

しかし、周辺の筋肉が根こそぎ肉離れしていて、それの回復までに約1ヶ月かかったと言う感じです。

 

これが私の、平成に入った最初の黒歴史でした。

 

 

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平成元年11月9日ベルリンの壁崩壊

この事件は黒くない歴史ですが、世界では何が起きていたか?としての目安として。

 

東西に分断されていたドイツが統一する事になったと言うか、東ドイツ国民の旅行自由化が宣言された事により、壁は要らんだろ!!と言う民衆が集まって壁を壊した日~と言うのが正しいかな。

 

この時破壊されたベルリンの壁の一部は、今でも壁のあった街でお土産として売られているそうなので、ドイツに行く機会のある人は壁の跡地や、壁に建てられていたブランデンブルグ門などを見に行ってみると良い。

 

壁崩壊後や壁の歴史については、ウィキに詳細が載っているので見に行ってみると良い。

ja.wikipedia.org

 

 

 

平成3年9月富士銀行不正融資事件で、就職予定の会社の社長が逮捕される

あまりにも衝撃的過ぎて記憶から抹消されてしまった部分もあるけど、とりあえず就職内定していた会社の社長が逮捕されて、急に路頭に迷ってしまったのは確かだ。

 

早々に就活に終止符を打って悠々自適に過ごしていた矢先の出来事だった。

 

因みに会社は、今は何をやるにも当たり前になっている無線LANの構築をするための会社だったので、私的には先見の明があった?と思う。

 

これからの時代、無線LANがネット社会を牽引して行くだろうと思って、LAN関連の会社ばかりに就活していたのだが、ようやく決まった会社がまさかのコレになるとは思わなんだ~・・・・(白目

 

と言う事で、社長が逮捕されて会社も廃業に追い込まれて、就職内定者は蟻の子を散らす様に別の会社を求めて去っていくしか無かった。

 

そしてこの、富士銀行不正融資事件が最初の、バブルと言うダムの決壊だったと思う。

 

つまり私がある意味、バブル崩壊後の就職氷河期の最初の被害難民だったとも言えるだろう。

 

<富士銀行不正融資事件>

www.jiyu.co.jp

 

 

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平成5年夏、冷夏でと豪雨で米の収穫量が低下して米の緊急輸入をする

日本の主食である米は基本的に自給率100%以上を誇る主力の農作物だが、この年は記録的な冷夏と豪雨によって、多くの田んぼの稲が収穫不能な状況になった。

 

そのため、日本国内の食糧事情の悪化を軽減するため、近隣の米を作付けしている国から米を緊急輸入して、何とか主食の維持を保ったのだ。

 

主に輸入したのはタイ米で、タイの他にベトナムなどの周辺諸国から輸入をしたらしい。

他にもアメリカ産の長粒米も輸入されたが、あまり人気が無かった記憶がある。

 

一般の家庭で食べる米は日本産の米や放出した備蓄米を使っていたが、弁当屋や社員食堂などで使われた米に輸入米が混ぜて使われる事が多かった。

 

この米の少ない状態は、翌年に天候が回復して米の生育も十分にあった事から、約1年以内に収束した。

 

 

平成6年6月松本サリン事件発生

ウィキには、化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して無差別に使用された最初の事例と書かれているが、未だにこの事件の後遺症で苦しんでいる人が、たくさん松本には居る事を忘れてはならない。

 

この頃はまだ松本は、私には旅行に行った事がある観光地と言う印象だったが、行った事があるお城の近くなどが良くテレビに映し出されていたのを思い出す。

 

今は松本に住んでいるので、かつて事件があった地域に自転車で行ってみたりする事が出来るのだが、こんな普通な所で、夜な夜なサリンが撒かれたかと思うと恐ろしさしか無い。

 

松本サリン事件の現場についての詳細は、この記事を参考にしてみて欲しい。

deepannai.info

 

 

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平成7年3月20日地下鉄サリン事件発生

実はその日はたまたま、右足の親指の巻き爪がもう歩くのも痛い程に肉を巻いてしまって痛かったので、巻き爪を除去する手術を外科でしてもらっていたのでした、朝一で。

 

で、術後、外来に来て椅子に座ってくつろごうかな~と思っていたら、テレビの内容がちょっとオカシかったのです。

 

殆どのチャンネルで、地下鉄で何やらすごい事件が起きた!と言う報道をされていて、地上の出口で倒れ込む人の姿がたくさん映し出されていたり。

 

おおお、これはただ事ではないぞ!と言う事で、お会計を済ませた後もしばらく見入っていたのですが、家に帰って家のテレビで見た方が良いと言う事で、徒歩5分(術後は15分)の家まで帰ってその後、ほぼ1日中テレビにくぎ付け状態だったのです。

 

足の指の手術だったので、その時していた仕事を3日ばかり休んで(立ち仕事だったので無理で)テレビばかり見ていたのですが、この地下鉄サリン事件のあった日は、足の巻き爪を手術した日!と被っている所為か、鮮明な記憶として残った事件の一つですね。

 

しかも当時働いていた所に行く時に有楽町線に乗って行っていたので、一歩間違ってたら巻き込まれていた?

とも思いましたが、乗っていた区間ではサリンは撒かれていなかったので、乗っていたとしても無事でした(池袋⇔江戸川橋)。

 

この時代もまだまだネットはあまり普及していなくて、携帯電話はあったけど分厚かった時代だったので、情報の大半はテレビが主流でしたね~。

 

地下鉄サリン事件詳細

ja.wikipedia.org

 

 

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平成13年9月11日アメリ同時多発テロ発生

この夜と言うか9月11日も終わろうか(日本時間)と言う深夜にニュースを見ていたら、この事件の映像が飛び込んできた感じで。

 

私が最初に見た映像の時にはまだ、ワールドトレードセンタービルは2本とも健在だったのですが、1本目に旅客機が突っ込んだ後だった様で、1本目の中腹から煙が上がっている映像を見た感じだった。

 

その後もずっと、現地の駐在員からの報道が流れ続けるのですがね、途中で2本目のビルにも飛行機が突っ込んで行って!

 

日本で中継を見ているだけなので、当然何も出来ないしそれに現地に居る人にも何も出来ない状況が続いていて。

 

犯人は何者なのか?という憶測や、この突っ込んだ飛行機に乗っている乗客の名簿だったり、突っ込む前に家族へ送られるメール(携帯電話)とかの報告が入ったり~と、とにかく色んな情報が錯綜しながら映像だけは淡々と放映され続けた記憶がある。

 

途中、1本目のビルが崩壊したかと思うと、2本目も後を追う様に倒壊して、取材をしているカメラを構えている特派員の方にも土煙が被さってきたりして、周辺の環境が最悪になって行った・・・・

 

アメリカ同時多発テロ事件詳細

ja.wikipedia.org

 

 

平成14年4月、長男出産

私の黒歴史?ホワイトな歴史?

どちらともいえないグレーな歴史の始まりでした。

 

今や17歳になった長男ですが、うっかりの出来ちゃった婚でした。

うっかりなので、そこに愛はあるか?と問われると疑問です。

 

未だにグレーゾーンな気がする・・・・と言う事で、黒歴史に入れて置きます。

 

あ、因みに次男君は平成17年9月の生まれですが、次男君はホワイト歴史の様な気がするので、中見出しにしない方向です。

 

 

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平成23年3月11日東日本大震災発生

その日、普通にツイッターで色々見たり呟いたりしていたら急に、地震かな?という程度の揺れがあった。

 

ウチの方はすぐ近所に2000m級の山があったり、そこそこ強い岩盤の上に家が建っていると言う事もあり、松本市街地地域の人よりは揺れは小さかったのですが、Twitterの中ではかなり深刻な揺れが生じていた。

 

凄い揺れた!

家が壊れた!!

壁にひびが入った~!

オレのコレクションが全部倒れてきた箪笥の下敷きになった~!

 

と言う感じの悲痛な呟きの後、約30分後くらいにもっとヤバそうな呟きが流れてきた。

 

海が凄い盛り上がってるの見ろ!

津波が来るぞ逃げろ!!

ウチ、近所に高い所が無いよ~イオンモールでも大丈夫かな?

 

と言う感じの書きこみに。

 

並行しテレビも見ていたのだが、岩手県宮城県の沿岸地域がどんどん波に飲み込まれて行く映像だけが延々と垂れ流しされた。

 

陸前高田はほぼ壊滅状態になるさまを、リアルタイムで見た。

名取が全て海になっている映像には絶望しか感じられなかった。

 

この年の政権は民主党で、地震直後から対応がすべて疎かだった。

それが、次の日に起こる原発の事故に繋がっていた。

 

同年同月12日長野県北部地震発生

東日本大震災の翌日と言う事もあり、記憶の片隅にすら置かれていないかも知れないけれども、長野県でも地震があった。

 

ウチの方も揺れたけど、震度5強はあった様だったけど、ウチの方特有の岩盤のお蔭で本棚の本の1冊も落ちなかったが、市街地ではブロック塀が倒壊したり自室の本棚が崩れて来て圧死した人も居た。

 

震源地の栄村では家が倒壊したり地面に亀裂が入ったり割れたり~と、かなり甚大な被害を受けた。

 

あれから結構な年数が経っているけれども、結局自分の家に戻れずに県が用意した住宅に住むしか無くなっている人もたくさんいる。

 

 

ほぼ同時期に二つの大地震が発生したと言う記憶は風化させてはならない。

 

東日本大震災の影で、長野県の北部と新潟県の南部にそれなりに大きな被害をもたらした地震災害があった事を、忘れないで欲しい。

 

東日本大震災詳細

ja.wikipedia.org

 

長野県北部地震詳細

ja.wikipedia.org

 

 

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他にも、たくさん~特に平成は地震災害が多かった気がする

平成28年の熊本地震では、熊本県のシンボル的な存在である熊本城が壊滅的な被害を受けて、現在も修復中だったりしている。

 

平成30年には、北海道の南部で地震が発生し、北海道胆振東部地震と言う名称が付けられた。

 

どちらも割と直近の災害で甚大なる被害を出しているので、かなり多くの人の記憶に新しい所だろう。

 

他にも~・・・と思い出すと、平成の世の中は全くその名に見合わず平坦ではない、むしろ過酷な運命と状況を突き付けられる事の多かった時代だった記憶が多い。

 

バブルの崩壊

円高ドル安

等々あったり、平成2年には湾岸戦争が始まったり~世界でも色々な世界を揺るがす事件が多発した気がします。

 

とはいえ、この平成の31年までの間幸いな事に、日本国内を日本の領土を侵す様な戦争が起きなかった事だけが救いかも知れません。

 

世界中の多くの国々で、戦争を初め他国民からの侵略的なテロが起きなかった点ではある意味良かった時代だったのかも知れませんが、テロと言う面で一つ汚点があるとするならば、やはりあのオウム真理教による一連のサリン事件が国内最大のテロ事件だったと思わずにはいられません。

 

平成をざっくり振り返りたい方は、こちらを見てみると良いでしょう。

ja.wikipedia.org

 

 

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そして、令和へ

令和が始まります!

 

多分(失礼ながら)30年は続かないと思います。

 

一体どんな時代になるでしょうか・・・・・

 

人類は宇宙進出を成し遂げるでしょうか?

ワープ技術は開発されるでしょうか?

東京オリンピックはどーなるでしょうか?

 

南海トラフ地震はいつ来るのでしょうか?

 

などなどなど・・・・

色んな憶測と想像と夢と希望と策略と戦略が入り混じる時代になりそうな気がします。

 

それは、令和が何年か過ぎないと分からないのでしょうけど。

 

とりあえず、平成にあった記憶が鮮明な黒歴史をツラ~っと書いてみました。

ここまで約6000文字・・・・

 

長いですが、お付き合いいただきありがとうございました

 

また、令和の年でも、お付き合いよろしくお願いいたします。

 

と言う事で。

 

次は、令和元年のとあるある日にお会いしましょう~。

 

 

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