新しい、パソコンを☆買いたい!

水彩とデジタル絵とグラブル民

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どうも本当は記事作成は好きじゃなくて、小説とか絵とかを描いて行きたいんだと

ここ数日、かなり精神を削ると言うか肉体的なダメージではなく精神的な苦痛を感じながら記事作成をしていた

ので、本当は記事作成なんて好きじゃないんじゃないか?とか思っていた。

 

ただ、誰にも指定されない自由な記事は書いていて苦痛どころか喜びとか、楽しささえ感じたので、誰かにコレ書いて~と指定された記事作成が苦手なのだろう。

 

そんな精神的なダメージの大きい記事作成をやっていて、とてもブログを更新出来そうな状態じゃなかった。

 

まぁ、でも、記事作成やってたら、時々こんな事にもなるだろう。

 

 

記事作成でサラリーマンの月収くらい稼いでいる人を見ても~

特に、ああ凄いね! って言う感じにしか思わないと言うか、自分もその域に達してやろう?と言う気分に中々なれなかった理由に、絵を描く方がやりがいや楽しさを感じているからかも知れない。

 

前回書いた線画はペン入れしたのだが、後日またメイキング記事書くので、現段階では顔アップ線画だけ載せておく。

 

f:id:cloise:20171023171117j:plain

結構グキグキ太くて荒いが、色塗ったら目立たなくなる?

 

因みに線画はシグノボールペン黒0・5mmだ。

 

黒がキリっと黒くて、とても描きやすい。

 

インク垂れしないのも良い。

 

 

こんな風に、記事作成より絵を描いている方が遣り甲斐とか楽しさを感じているので、多分記事作成でたくさん稼ごう!って言う願望とか欲望が少ない

 

なので、どうもバリバリ案件をこなそう~と言う意識が向上しないんだろうと思う。

 

出来れば、絵描きでやっていきたい?と言う願望もチラホラ脳裏をかすめるが、自分の絵はどこかで大きく出られそうな画力では無いので、ドコかの網にでも引っかかった時に開花するのかも知れない。

 

しかも、最近また更新し始めたのがカクヨムの小説で、ここ1年位更新が止まっていた所に突然その続きが降臨したので、先日久しぶりの更新を果たした。

 

kakuyomu.jp

 

この話は、世界観的には狭い世界のことを書いているのだが、主人公に試練があったりするかも知れないし無いかも知れない。

 

まだ、今脳裏に降りてきている話を書き終わった時点でまたどの方向に導くかを決めなければならない。

 

と言う事で、まだまだ続きますと言うか、現在2章なんですが最低でも4章くらいまでは行くので、良かったら見に行ってみて欲しい。

 

 

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よく、稼いでいる人が自分の稼いだ金額を公表しているけど、それは何のために公表しているのかを考えると

やはり、たくさん稼いでいて偉い!とか言われたいのだろうか?と思う。

 

そんな稼いだ金額を公表していて大丈夫なのか?と思う時もある。

 

と言うのも、人は欲望にまみれているので、お金を持っている人の所にはショウジョウバエの様に金クレクレさんが群がるに決まっているのだ。

 

もしくは、金使ってクレクレさんとかね。

 

とにかく、お金の話をしていてその金額が高額だったりするとそういった輩が近づいてくるのは確かだ。

 

どうしてそんな考えを持つのか?と言うと、これはかつて日本がバブル期だった頃に遡るのだが、私の実家は当時はそこそこお金があった?様で、そのお金で千葉県の方にちょっとした土地を持っていたりした。

 

ある時、その土地の価格が上がったとかで、資産価値が向上して売ったら結構な金額になる~と言う頃に、やたら資産運用だと土地有効活用とか言う業者が訪れる様になった。

 

その光景を、当時小学生だった私は見ていたのだが・・・・・

 

どの大人も、欲にまみれた顔をしていたなぁ~・・・

 

 

なので、もし私は何らかの方法で結構稼ぐようになったとしても絶対公表する事は無いだろう。

 

 

一番いいのはフツーな稼ぎとフツーな生活だと

思う。

 

あんまり持っていると失うのが怖くなってもっと必死に稼ごうとするし、逆にあまり貧乏だと卑屈になるかも知れない。

 

いや、私は貧乏でもあまり困らないから、そこそこフツーに衣食住が出来ていれば問題無い。

 

家賃とか払わない今の家なら、光熱費込みでも1年間で50万円もあれば生活できると言う試算をしたこともある。

 

この辺の思想は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に準じているようにも感じる。

 

または、太宰治の「清貧譚」に帰する所もあるかも知れない。

 

それに、人は多くの富を得るとその代償に非業の死を遂げたり、大病を患ったりする傾向がある。

 

そう。

 

幸運の影には不運が潜んでいるのだ。

 

なので、私的には雑草の様にひっそりと普通に暮らしつつ好きな事が出来る生活を維持できれば、それでイイ。

 

多くを望まずに生活していた方が、不運を喚ぶ事も無いだろう。

 

 

ただ、人の幸福を感じる度合いは人それぞれなので、

稼いだ金額を公表する事に喜びを感じている人も居るかも知れないし、それを見て不快に思う人も居たりするかも知れない。

 

または何も思わないのかも知れない。

 

幸福を感じる瞬間は、美味しいご飯を食べた時かもしれないし、帰宅して布団にもぐり込んだ時かもしれない。

 

絵を描いていて、今まで使った事が無かった技法に挑戦したら上手く行った瞬間に幸福を感じる事もあれば、何もしないで1日ねているだけで時間を使ってしまった時に幸福を感じるかも知れないのだ。

 

出来れば、記事作成をしていて幸福や喜びをずっと感じていられると良かったけど、書いていて苦痛な案件もあれば楽しい案件もある。

 

しかし、生活するうえでの幸福を得るためには、その苦痛を耐えて書いていくしか無いのが、今少し疑問に思い始めたのだ。

 

好きな事をして生活するための稼ぎを得たいと思ってフリーランスになったのに、コレでは元の木阿弥ではないだろうか?

 

と、思った。

 

ので、来年あたりからちょっと、やっていて楽しくてしかも稼ぎになる事を模索して生きてみようか?と思っている。

 

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写真は、台風が来る前日の美ヶ原。

 

雲がかかってイイ感じ☆

 

空の点は、飛んでいるカラスだった筈。

 

と言う感じで、また。

 

 

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