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誰かの記事で、自分の興味がある事を何かと比較されていた時に不快感を感じても、書いた人の人格を否定してイイ事にはならない

久しぶりにタイトル長っ!!しかし、そーゆー事と言うか

タイトルだけで内容が終わってしまう!

 

いや、終わらない!!

 

まだまだ続きます笑

 

是非読んでみて欲しい~。

 

 

先日、このブログをちょくちょく読んでくれている人から、人格を否定する様なコメントをされまして

その時は、テキトーに受け流していたんですがね、もし本気の人が近くにいたら名誉棄損!とか言いそうなレベルでありまして。

 

まぁ、私的には人の感じ方や感受性はそれぞれなので何とも言い難いと思って聞いていたんですが、一晩~二晩経つと煮詰められてきて、ちょっとアレ?オカシくね??

とか思ったりしたわけだ。

 

ただ、確かに自分の興味がある事や気になっている事、好きな事に対して何かを当てはめて比較されたときに、その比較対象がちょっと違っている違和感を感じた時は不快感を感じる場面も出て来るとは思うけど、それに関して自分に直接何らかの影響だったり、社会的地位が脅かされるなどの状況に陥る様な事態にならないのであったら・・・・

 

書いた人に対して、その人の人格を否定するようなことを言っていい道理にはならないのでは?ないだろうか。

 

と、思った次第。

 

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思ったら、口に出してもイイ事と良くない事を判断出来ない人は増えている

 と、最近、とみに思う。

 

実は昨日、とあるイベントに参加してきたのだが、鍋を食べる会の後ビンゴゲーム大会が開かれ、皆でカードの数字を穴にして行った。

 

隣に座っていた人がビンゴ大会の賞品を貰ったら、何と!自分が勤めているスーパーで販売されている商品だった事に腹を立て、その後はブツブツ文句を言ってばかり・・・・

 

楽しい筈の空間が、一瞬凍って興ざめした感じ。

 

と言う感じで、思った事を素直に言う事も大事な局面も多いけど、言っちゃあ駄目な時もある。

 

正に!この時がそうで、この隣に座っていた人は、まさか自分が働いている店の商品が賞品だったとしても、演技でも何でも良いので喜んだ反応を見せれば良かったのだ。

 

こんな風に自分の事だけしか考えていない人が、多くの人が集まるパーティや宴会の会場で自分の不満ばかりをブチまけているのを見ると、本当に周囲の人の気持ちとかそう言うのは全く関係無いと思っているんだな?

と、解釈してしまう。

 

なので、出来ればこう言うイベントにはあまり来て欲しくないものだと思わずにはいられない。

 

自分の周囲やまたは自分自身に何らかの不快感を感じる局面が訪れても、その不快感を相手や周囲に直接伝える時には怒りなどの感情を乗せて伝えるのではなく、あくまでも何かの一例の様に、回りくどい方向から伝えた方が相手や周囲も傷つかないし、空気が凍り付く事も無い。

 

ただ、時々タチの悪い人が居て、その事を伝えた時に相手が傷ついたり動揺したりしている所を見たいと思っている人も居るのだが、そう言う人は大抵話していたり人格を否定する様な事を言っている時の態度が明らさまにオカシイので、それに気づいた場合はもう~本気で対応しない方が身の為だ。

 

本気で返すと面白がって、どんどん人格を否定するようなことを言う様になってしまう。

 

そうならない様に、自分自身の心に防壁を築くのだ。

 

 

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相手の人格を否定する前に、自分の人格がそんなに優れているのか?とか思い返して欲しい

かと。

かなり思う。

 

誰かの人格を否定している人って、その否定している人がかなりの人格者?だったり社会的地位がある人だったりすると、否定されている人も仕方が無いのかな?と思う時もある。

 

しかし、全然そうではない、むしろその人格を不特定多数の人が感じた時、果たして不特定多数の人が否定しないでいられるだろうか?

 

思いたくなる人ほど、誰かの人格をよく否定している様な気がする。

 

 

私の書いたブログ記事の中に不快感を感じる一文があったのかも知れないが、それを注意する時に人格を否定しても良い?のかと言うと、それは間違っている。

 

出来れば、この記事のこの部分はオカシいと、それだけを伝えれば良かったのでは?

と、思うのだ。

 

 

多分多くの人が、うっかり人格を否定するよう事を普段から言ってしまっている

ただ、その言葉を向けている人が、そこそこ親しい人ならまだ親しい仲での無礼と言う事で許されることも多いだろう。

 

ただ、親しさの度合いに対しての理解の度合いがお互いシンクロしていない場合もあるので、その時は親しい仲での無礼や失礼をした時は、その仲が破たんする事もあるのだ。

 

うっかり、人格を否定するようなことを言ったり言ってしまった!と思った時は、もう言われた人の心についた傷を修復する術は無かったりする。

 

一度付いてしまった傷は二度と消えないのだ。

 

ただ、その時にすぐ謝罪をしたりフォロー的な文言を話す事により、さっき付けてしまった傷を緩和する事は可能だと考えられる。

 

しかし、意図的に人格を否定してやろうと思っていたり、特定の誰かだけ徹底的に攻撃している人はを懲らしめるには、その人が尊敬している人や周辺の人間関係から~外堀から埋めて行く必要が出て来る。

 

意図的に、ある一個人を攻撃している人は結構最近よく見かけるので、一体どんな自信でその人を攻撃しているのだろうか?と思って調べてみると、特に何も後ろ盾も何もない冒険者の様な人も居れば、ガッチガチに地位があったりお金を持っていたり人脈も凄い人が否定しまくっていたりもするので、特定の誰かを攻撃している人に、どうやら法則は存在していない?のかも知れない。

 

法則は存在していなくても、もしかしたら彼らは精神構造に共通点があるのかも知れない。

 

自分の方が優れていると思い続けて居たかったり、誰かに守られている様な安心感を得続けていたいと切望する、自分勝手な子供の様な心を維持し続けている可能性があるのだ。

 

 

ただ、そんな人を本気で相手にすると疲れるので

それなり~に生温かい目で見守って行った方がイイかも知れません。

 

そう言う人は、他人を攻撃して否定した時に自分の中に湧き上がる何かが楽しいと感じるので、その楽しいと感じる謎の娯楽を邪魔しちゃ悪いね?とか、そんな空気で見守って行くと良さそうです。

 

言われた人は傷つきますが、その傷は一生引きずるモノではない事が多いので、否定しまくってくる人よりは軽症かも知れません。

 

誰かを否定したり攻撃し続けている人は、基本的に根本的に何かがオカシイと考えた方が良い人なので、本気で向き合わず、遠くの芝生位の感覚で接して行くと良いでしょう。

 

 

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