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水彩とデジタル絵とグラブル民

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自分を表現する方法を持たない人は、死後はほとんど忘れられる可能性がある事

家族に、全く他者とつながりを持とうとしない人が居るので、こう言う人は将来的に誰からも忘れ去られるだろうな~と

思ったり。

 

何らかのSNSだったりブログをやっていれば、その書き込んだ事を読んでくれる人がいたり、ずっと応援してくれる人が居たりするので死後も長期間忘れ去られることは無いと思うのですが、何もしていない人はどーなんだろう?と、ふと思い。

 

ウチの夫が、そのタイプの人で、全く他者との繋がりを持とうとしないコミュ障なのだ。

 

更に言うと、当然ブログもやって無いしSNSもやってない。

 

某掲示板などの意見を読み漁る事はしても自分の意見を書き込もうとはしない。

 

意見は近くに居た家族に言って、同意を求められるんだけど結構返答に困ると言うのが真実だ。

 

こういう人にならない様にするべきことを、色々書いていく!今回。

 

 

絵を描く事も表現の一つだ

絵を描いていたら、そんなに上手くなかったとしても100人に見せたらそのうち10人くらいはイイ!って言ってくれる人がいる。

 

イイ!とまでは行かなくても、まぁまぁイイね!と言ってくれる人も居る事だろう。

 

とにかく何かを表現した!って言うのが大事で、上手い下手は関係無い。

 

自分が今そこに居るんだって事を、誰かに知らしめられればそれでイイのだ。

 

ただ、誰にも見られない様なエゲつない絵だったり汚い絵は論外だ。

 

汚い!と言うコメントが貰えるかもしれないけど、それはその絵を誰かに印象付けたかも知れないけれども、長い間覚えていてくれる筈がないと思った方が賢明だ。

 

もし、誰かにずっと覚えていて欲しいと思うなら、誰かの心に残る様な絵を描くと良いだろう。

 

 

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ブログを書くのは結構お勧めだ

ブログって、結構ファンが付くと無料ブログ会社の運営が続く限りはずっと誰かに見られ続けると思う。

 

先日亡くなったあの方もそうだけど、誰も運営する事が無くなったブログには、未だに多くのコメントが寄せられているのかも知れない。

 

ブログは最近お役立ちコンテンツを書かないと生き残れない的な風習になっている様だが、そんな事は無い。

 

自分の日々の生きた証である日記をつけても、全く問題は無いのだ。

 

また、日々の疲れを癒すためだったり、会社の上司への文句をブチまけるためだけにブログを運営している人も居ると思うが、それでも全く大丈夫だ。

 

と言うかむしろ、それ位荒々しい方が、ある日誰かが故人をしのんで読みに来た時に、この頃はこんな事を考えていたのかと~思いを馳せることが出来るだろう。

 

 

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TwitterやFacebookなどのSNSも活用しよう

ツイッターも、フォローしていた人が突然亡くなったりして、更新がその日で途絶えたとしても、相変わらず多くの人が見に来ている?と言うアカウントもある。

 

フェイスブックも然りだ。

 

家族が故人のパスワードを知っていて、アカウントを停止したりしない限りはずっと表示され続けるだろう。

 

もしかしたら、故人が転生した先の時代にも過去の自分のページが残っていて、おぼろげながらに思い出したパスワードで更新を再開するかもしれない。

 

そう考えると、ちょっとSNSも残しておきたくなるだろう。

 

人は死んだら天国へ~と言うのは宗教上の事だけで、実際は死んだら結構早い段階で次の人生に飛ばされる。

 

と、考えている。

 

なので、たとえ今の人生を死に急いでいたとしても、死んで何もかもが無くなったりする事は無い。

 

それに、SNSやらブログやらが第二の故人の人格としてネットの海に漂うのだ。

 

 

出来れば、世界に名を轟かすほどの有名人になってから死んだ方がイイ

それが一番理想だが、なかなかどうしてそんな立ち位置に立てる人は少ない。

 

よっぽど売れる作品を書いた小説化や漫画家、アニメや映画の監督にでもならない限りは難しいだろう。

 

または俳優や女優や歌手や演奏家などで人気を博して世界ツアーでもやれば、かなりの知名度になるはずだ。

 

しかしこれらになる人もそうそう居ない。

 

プロ野球からメジャーリーグに行ったり、サッカーの世界的に有名なリーグに参加したりする人も少ない。

 

ただ最近では、You tubeなどの動画サイトで再生回数が多くなれば世界的に有名になれる可能性も増えてきているので、世界的に有名になれそうな才能が無いと言う人は、面白い動画を撮影して投稿してみるのも手だ。

 

動画は、何がいつ人気になるか分からない。

 

日本でウケなくても、世界の誰か有名人にウケたら世界大ヒットになる可能性もある。

 

そう、あのペンとリンゴとパイナップルのあの歌の様に。

 

 

人の心は移ろいやすく、留まる事を知らない

最近の人の記憶に残る事柄は流動的なので、特定の人にさえ記憶に留めてくれればイイ~と言う雰囲気にもなっている。

 

情報が溢れすぎているから、どの情報を一番覚えているべきかを選べない人も増えている。

 

そんな中で、誰かが死んだ。

 

毎日ツイッターで呟きを見ていた人が死んだ。

 

毎日読んでいたブログの作者が死んだ。

 

そんな誰かが死んだ情報さえも、日々の生活の中で薄れて行く。

 

忘れられていくのだ。

 

どんなに多くの表現方法で自分を表現し続けたとしても、結局いつかは忘れ去られて行く。

 

その事だけは変えられない事実だと、認識しておくべきだろう。

 

 

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